横浜みなとみらいに行く用事があり、素晴らしい風景を撮影し、加工してみました。
コメントは不要。やはり横浜は絵になります。
ホッと一息 横浜みなとみらい風景ギャラリー
日本丸からコスモワールドを見晴らすブリッジより、撮影しました。撮影当日は、生憎の雨でしたが、加工下手な私のスキルでも、素材がいいので、うっすらと晴れ間の見える、清々しい感じに仕上がりました。
日本丸をレトロ調にまとめてみました。昭和5年に建造された練習帆船ですよね。
昭和59年(1984年)まで、54年間も活躍したそうです。地球を46周ほど回る距離を航海したとか。戦争の戦禍に見舞われる事なく、戦後の引揚者の輸送に大きく貢献したそうです。
世界中の港を訪れた、歴史と由緒ある帆船。レトロ調が似合います。
観覧車は、1989年の横浜博覧会の際「世界最大の時計機能付き大観覧車」として運転が始まったとのこと。最初は「ポカリスエット」の看板があったらしいです。この観覧車は、その昔、筆者の相談相手でした。その頃の思い出は、後段で少し書きたいと思います。
横浜ランドマークタワーのロビーから見た風景です、明るいイメージが出るような、絵画風にしてみました。
クイーンズスクエアの建物の中は、そのままで絵になります。1997年開業で3棟が連なります。みなとみらいは、クイーンズスクエアを中心に発展していったと言っても過言ではないと思います。贅沢な空間に、東京では味わえない、港湾都市ならではの、なんとも言えないゆったりとした気持ちにさせてくれます。
関西の神戸も、やはり同じような雰囲気はありますよね。
このモニュメントは、異次元的な雰囲気があり、少し幻想的な加工にしてみました。看板だけ青く残してます。
下の4枚は加工してません。そのままでも、十分な雰囲気があります。もう少し天気が良ければ、良かったですね。
みなとみらいの歴史
これまで、改めてみなとみらいの歴史を調べた事はありませんでしたので、今回を機会に、調べてみました。
昭和 40(1965)年、横浜市はあらたな都市づくりの構想として「六大事業」を発表しました。その筆頭に挙げられていたのが都心部強化事業です。これは開港以来の都心部であった関内地区と、戦後急速に発達した横浜駅周辺地区とを、その中間に位置する臨海部の再開発によって一体化しようとするもので、この構想をきっかけに「みなとみらい 21」と呼ばれる都心臨海部の整備事業が始まります。
平成29年9月27日横浜都市発展記念館 (公財)横浜市ふるさと歴史財団 記 者 発 表 資 料
現在は多くの観光客でにぎわうみなとみらいは、かつては造船所や貨物ヤードからなる工業・物流の拠点でした。明治時代には築港計画の一端として横浜船渠(ドック)が設立され、大正時代には新港ふ頭の完成にともない臨港貨物線が整備されます。また関東大震災後には山内ふ頭・高島ふ頭が増設され、この界隈は横浜港とともに拡張を続けてきました。都心部強化事業は、これらの施設を移転させて、跡地にあらたな都市をつくりだそうというものでした。
構想から 50 年がすぎた現在も、みなとみらいは発展を続けています。
みなとみらいの思い出
かれこれ、13年ほど前、筆者は横浜に2年ほど勤務しました。観光で行ったことはありましたが、仕事をするのは初めての経験でした。
横浜でビジネスを展開する方々のイメージは、東京への対抗意識を持っているのかと思っていましたが、全くそのような事はなく、歴史と伝統に誇りを持ち、とても大らかで、優しい方々ばかりでした。
所謂「浜っ子」は、幼いころから、わざわざ東京に出かける事はなく、横浜界隈の文化圏を愛し、育ってきた方が多いという事も知りました。
江戸っ子が剛なら、浜っ子は軟といった感じでしょうか。
みなとみらいの観覧車は、仕事で悩んだ時の相談相手でした。クイーンズスクエアのカフェの窓から、「観覧車が安定したスピードで淡々と」運転されているのを見ながら、仕事の解決策を考えてました。観覧車が3周しても、解決への名案が浮かばなければ、改めてジックリと考えるようにしました。
ただ、不思議な事に、2周ほどで、殆どの悩みについて、ある程度の解決策が見えるようになっていました。
何か、とても不思議な体験だったですね。